全然歌わないシンガーソングライターです。

書かない、歌わないシンガーソングライターの生き残り戦略。

バイオリニストの「ハーブティー」。

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東京の下町にある、友人の店を初めて訪れた。バイオリニストである彼の店の前を通ったことなら何度もあったのだが、たまたま休みだったり所用があったりして立ち寄る機会が無く、どんなことを自分の店でやっているのかずっと気になっていた。

 

彼との出会いは、僕がお世話になっている地元のカフェがある「シェアアトリエ」の、オープンイベントでのセッションだった。「バイオリニストが来るから何か演奏して欲しい」と言っていただき、彼を紹介された際に、何をやるのかを打ち合わせしようかと相談したら「打ち合わせナシで行きましょう」と言われ、まさに「アドリブ」で演奏することになった。

 

僕はギターを持ってきていたので「伴奏」に回ることになるが、彼がどんな演奏をするのか全くわからないまま「本番」を迎えることは、まさに「セッション」の醍醐味だろう。初対面でも強制的に「一つのこと」を共有することで、相手との距離を急速に詰めることができるのは、音楽が持つ大きな魅力でもある。

 

2曲ほど演奏させてもらったが、彼の「パフォーマンス」は本当に素晴らしく、即興で歌ってくれたり、アトリエ中を移動したりしてくれて、大いに盛り上がった。「魅せる」ことに非常に長けたバイオリニストとして、僕の印象に深く刻み込まれたわけだが、その彼がやっているという店のことも知りたくなった。

 

彼の店がある下町は、僕が初めて一人暮らしした街でもあり、昨年「音楽フェス」で関わったエリアでもある。だいぶ取り壊されたとは言え、未だに古い長屋が残り独特の雰囲気があり、地方から移住してくる若い世代も多い。

 

ただ「移住」してくるというより、何かをやるために来る人が多く、自分でリノベしてカフェを始めたり、アトリエを構えて創作活動をしたりしているため、街全体に占める「クリエイター」の比率は高いだろう。

 

彼の店は、程よく「狭い」。5人も座ったら満席になる店内は、マスターである彼との距離感が絶妙に「ちょうどいい」。自然に彼と会話ができる、友達の家に遊びに来たような居心地の良さを感じる。

 

バイオリンを弾く彼なら何度か観たことがあったが、「マスター」としての彼を観るのは初めてであり、新鮮な感覚だ。同時に、バイオリンの「音」にも感じた人柄やこだわりが、店内に満ち溢れていて嬉しくなった。

 

彼の店は「ハーブティー」が中心にあり、彼手作りのキッシュやお菓子も堪能できる。その一つ一つに込められた「想い」を味わいながら、絶妙な距離感での会話も弾む。普段「珈琲」ばかり飲んでいる僕には、彼が語る「ハーブティー」の世界はとても興味深い。

 

その「ハーブティー」は、注文した客のパーソナリティーを会話の中から把握し、それに合わせて「調合」してくれる。僕の場合は、「シンガー」であるという要素と、普段「ブラックコーヒー」を飲んでいるという要素から「調合」してくれたのだが、薫りを嗅いだだけで鼻が通るような爽やかさを持った「喉に優しい」ハーブティーに仕上げてくれた。

 

音楽の話だけではなく、ハーブティーのことやお菓子のことなどを聞いているだけで、あっという間に贅沢な時間が過ぎてゆく。彼曰く「時間感覚の狂う街」という言葉も、納得がいく。人との会話で時を忘れるなんて、これ以上の贅沢は無いだろう。

 

初めて訪れたことが「もったいないことをした」と思うほど、居心地の良い彼の店には、今後頻繁に足を運ぶことになりそうだ。やはり「良い店」というのは、「良い人」そのものであるということを、あらためて感じさせてくれる「芳醇な」ひとときだった。

優しい「味」から伝わってくるもの。

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仕事柄「イベント」に関わることが多く、特に昨年からはボランティアで「裏方」として参加することも増え、「損得勘定」ではない継続性のある繋がりも増えてきている。

 

イベントにはたくさんの人間が関わり、名刺もすぐに「売り切れ」になってしまう状態だが、かと言って本当に意味のある繋がりにまで「発展」することは多いとは言えない。最近は、誰とでも名刺を交換することは控えるようになってきている。

 

最近知り合った方は、アレルギーにも優しい米粉の「サンドイッチ」を作っていて、たまたま訪れたカフェで、試食させていただいたことがきっかけだった。食べてみると人柄が伝わってくるような優しさを感じることができ、短時間のやりとりの中でも「目的意識」をしっかり持った方だと思い、名刺交換をさせていただいた。

 

その後何度かメールのやりとりをさせていただいたが、最初の印象が変わることは無く、むしろ良い方向に「強化」されるような、「食」に対する誠実な想いを知ることができた。そうなると僕が関わるイベントにも携わって欲しくなるし、様々な人を繋ぎたくもなってくる。

 

早速「繋ぐ」機会を作りたくて相談してみると、やはりフットワークが良い。「機会」があってもそれをモノにするには「縁」が無ければ難しく、ここぞという時にどれだけ「時間」を割けるかが分かれ目になってくるだろう。動けなければ「チャンス」を失ってしまう。

 

積極的に「夢」を追いかけていれば、当然動ける時間は制約を受けるわけだが、目的に対する「優先順位」がはっきりしていれば、「動く」ことへのブレも最小限に抑えることができる。それによって相手の信頼を得るまでの「スピード」も大幅に短縮でき、その結果として動く「効率」も良くなってくる。

 

彼女の優しいサンドイッチの「味」は、様々な想いの「集大成」であるだろう。「食べる」という人間の根本に関わる行為は、誰もが毎日触れる部分であり、だからこそ「差別化」することが難しいこともあるだろうが、「人柄」が伝わってくるほど「強い」ものは無い。同じ人間は一人として存在しないからだ。

 

誰となら意義のある繋がりを創れるのかという「問い」は、数々の「失敗」の中から少しずつ答えが浮かび上がってくる類のものであり、人を見極めることの難しさは、ライフワークとして取り組むべき課題でもある。

 

現時点での僕なりの「答え」は、自分のことばかりを主張するのではなく、相手が何を望んでいるのかを「洞察」し、自分以上に相手を「活かす」ことができる人とは、継続性のある関係性を持てる可能性は高いと感じている。

 

「第一印象」で全てがわかるわけでは無いが、かなりの領域まで「わかる」かも知れず、自分自身の「優先順位」がはっきりしているほど、より良い人間関係を構築できる可能性を高めてゆけるだろう。

ブログの「効能」。〈120日継続してみて〉

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拙いブログを、なんとなく「100日」を目標に継続してきた。音楽を数十年継続していても、やはり新しいことに挑戦するのは「未知の世界」に踏み込む感覚があり、僕なりに「悪戦苦闘」してきた経緯を記録できたことに、一定の「意義」はあると感じている。

 

記事をストックしておけば、その分は「楽」になるかもしれないが、自分の思考の「アーカイブ」を作ることが一つのテーマでもあり、書いている「今」を残す「速報性」を重視しているため、書きためることはしていない。毎日7時の更新という自分に課した「ノルマ」をこなすために、今も午前4時に書いている。

 

継続「120日」を越えた現在、書くことのメリットとして、予想通り思考の「言語化」によるアタマの中の整理整頓が進んだことが、真っ先に挙げられる。他人と会話をする際に、以前よりもスムーズに伝えられることが増え、それが「抽象的」な話題でも、思考回路が一度「通った道」として認識できている感覚があり、会話の主旨の「ブレ」を抑制できていると「自覚」できる瞬間も多くなってきた。

 

一つの記事をある種の「訓練」として「1000字以上」書くことを意識してきたが、最近は「1200字」を越えることも普通にあり、単純計算で「1200×120=144000字」を書き綴ってきたことによる「言語」に対する脳の領域の「進化」は、やったことがない「初めて」の経験になるだけに、予想以上に大きなものだと感じている。

 

思考をより深めないとなかなか記事にはならず、自分自身と通常以上に「深い対話」をする必要があり、それが「掘り下げる」という自分を理解する上で重要な作業になっているだろう。自分を「知る」ことは容易なことでは無く、知らなければその分「ブレてしまう」ことも増える。

 

「自信」というものを自覚的に捉えるには、自分の「思考パターン」を知っておくことで、そこから生まれてくる「結果」をデータとして、次の課題にどう向き合うのかを、ある程度「法則性」を持って考えることができるようにしておく「仕込み」が必要だ。そのための「回路」が鍛えられているほど、無駄なエネルギーロスを避けることができるだろう。

 

自分にとっての「優先順位」を明確にすることが、他者から見た「自信」に繋がってゆく。常に「前向き」なスタンスでいることは容易では無いが、自分が「後ろ向き」だと感じる時は、だいたい「感情」が優先され「優先順位」が後回しになってしまっていることが多く、思考や行動がブレてしまった時の「特効薬」としても、自分への「理解度」というものが効いてくる。

 

ブログをある程度続けてきて思わぬ「ご褒美」だと感じるのは、「読書」する機会が増えてきたことだ。それだけ「文字」から遠ざかっていたのだと思うが、自分が書いてみることで、他人が書いたものを「読む」という作業が、スムーズにできるようになってきている。

 

「本」というメディアが持つチカラは、ニッチなテーマでも扱ってくれている「希少性」もあり、自分で書いてみているからこそわかる「労力」へのリスペクトも、自然に持つことができているし、一つのテーマを拡げ、まとめてゆくための「知恵」の凄味も、以前よりわかるようになったかもしれない。

 

「文章」という情報のカタチから、それを映像化してゆく「変換」は、音楽人である僕にとって大切な「回路」の一つだが、「書く」「読む」という作業量が増えたことで、そこも「強化」されている。「歌詞」へのアプローチや、「ストーリー」に対する豊かなイメージは、より良い演奏にとって不可欠なものだ。ブログによって「演奏力」も向上していることは間違いない。

 

ブログを始める「120日前」よりも、僕なりに「進化」していると感じられる領域がかなりある以上は、今後も可能な限り継続してゆきたい。せっかく「習慣」になりつつある「書く」という行為が、自分にもたらす「恩恵」を記録することで、何のために書いているのかという「原点」に立ち返りやすくなるための「一里塚」として、この記事があると思っている。

「落としどころ」の模索。〈「政治的」に動けるか?〉

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理想と現実の狭間に、「落としどころ」というものがある。「妥協」と言ってもいいのかもしれないが、もう少し前向きな意味で、「できること」と「できないこと」の区別をしっかりやるというニュアンスで捉えたい。

 

「理想」や「志」を持たなければ、「質」の向上は望めない。「できること」だけに囚われてしまったら、「現状維持」が精一杯になってしまうだろう。そこに「不満」を感じるなら、「できないこと」にも挑戦していかなければならない。

 

ただ、「現状維持」も簡単ではない。同じことをもう一度やるには、もう一度同じ「エネルギー」が必要であり、それが確実にできる「保証」は無い。「満足」までは得られなくても、それなりの「及第点」を取るのもなかなか大変なことだ。「できないこと」に踏み込むことで、崩れ去ってしまうものもある。

 

自分一人のことなら、「落としどころ」を考えず徹底的に追及していけるかもしれないが、二人以上で「一つのこと」をやるなら、それぞれが持つ「理想」が相互理解を妨げる「障壁」になることも多々あるだろう。

 

この辺の感覚は、「恋愛」でも「バンド」でも、より多くの人が関わる「フェス」のようなものでも、基本的には同じだ。自分だけではなく「相手」がいることで発生する「コミュニケーション」、そして些細なすれ違いからでも生まれる「摩擦」のようなトラブルと、どう向き合うのか。

 

目的が「理想の追求」なら、孤独を怖れず真っ直ぐに進めばいいかもしれない。「真っ直ぐ」であり続けることの「リスク」を理解した上で、「覚悟」さえあればどこまでも突き進んでゆけるだろう。ただし、本当に「一人」だけでやれることは多くは無い。

 

誰かと一緒に何かに取り組むのであれば、相手との「間」にある「落としどころ」の模索は、目的を達成させるために重要な作業になる。自分の「理想」ばかりを主張してしまえば、あっという間に「空中分解」してしまう危険性があり、独善的にならずお互いに「リスペクト」し合える関係性を創ることが鍵になってくる。

 

どんなに簡単そうに見えることでも、実際にやってみなければわからない「難しさ」は必ずある。他人がやっていることに「ケチ」をつけるのは誰でもできるが、何かをカタチにすることの「苛酷さ」を知ってからにした方が、恥をかかずに済むだろう。

 

三者だからこそ見える「改善点」もあり、「批判」にも冷静に耳を傾ける器の大きさを持つことは、自分を大きく「成長」させてくれる。「無責任」なポジションからの「批判」の中にも、「宝物」は必ず潜んでいる。何かをカタチにするということは、世の中に「晒す」ということであり、晒されてみて初めてわかる自分の「チカラ」というものがある。晒すことでしか「成長曲線」を大きく描くことはできない。

 

ただ、無責任な「評価」に振り回される必要は全く無い。飽くまでも「参考」程度に留めるくらいにしなければ、「落としどころ」をどんどん見失ってしまうだろう。「実践」している人間で無ければ見えてこない領域のほうが、遥かに「巨大」であることは間違いないからだ。

 

ハタから見れば「失敗」しているように見えるものでも、何を持って「成功」とするのかを決められるのは、エネルギーを費やした「当事者」だけだが、誰も入って来れない領域だからこそ「逃げ場」としても機能してしまうことがあり、注意が必要だ。

 

自分の「理想」と、相手の「思惑」。そして「できること」と「できないこと」を見極めながら、実現したい「目的」に向かって継続的に挑戦してゆける道を模索することで、より多くのことを手に入れることができると思っている。

 

「目的」を達成するために誰かと「動く」ということは、「感情的」にならず「政治的」に動けるかどうかが、「成否」を分けることになるだろう。

強い「チーム」を作る。〈「想い」の共有の難しさ〉

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来月都内で開催されるイベントに、実行委員として関わることになった。あまり開催までの時間が無いため何ができるかわからないが、昨年夏の「音楽フェス」での体験を活かしつつ、自分にもできることを考えたい。

 

イベントの開催には、想像以上に様々な準備が必要になる。規模が大きければ行政や地域との「連携」や「理解」を得るだけでも、「信頼関係」を構築するための膨大なエネルギーを費やす覚悟が無ければできることではない。

 

昨年の「音楽フェス」でも感じた「最も難しい」こととして、運営側で参加する人たちの「想い」を、どうやって「共有」してゆくのかという点がある。参加する以上は何かしらの「共感」があるはずなのだが、そこにはそれぞれの「思惑」や「温度差」があり、一つにまとめあげてゆくのは最初から「不可能」な領域かもしれない。

 

「まとめる」というよりは、それぞれの「想い」を汲み取ったうえで、「適材適所」に配置してゆくことに集中した方がスムーズな運営に繋がる。強引にまとめようとすると「摩擦」も増え、人間関係に費やすエネルギーの割合が激増してしまう。

 

想いを「汲み取る」だけでも容易ではない。運営委員長や各部署の責任者は、参加するスタッフと「個別面談」を行うくらいのスタンスでいないと、なかなか「心の中」までは見えてこない。ボランティアスタッフだからこそ、金銭が発生しないぶん「心のやりとり」が必須であり、少しでも円滑な運営をするためには、かなりのポイントになってくる。

 

それだけ想いを「共有」することは困難であり、単純ではあるが最も有効な「話す」ということを、どれだけ大切にできるかで、イベント全体の「印象」は決まるだろう。その重要性に比べれば、イベントの「コンテンツ」は後回しでも良いと考えるべきだ。

 

今回関わらせていただくイベントは、テーマとして「動物愛護」ということを掲げている。「生命」を扱うことなので、なかなか扱いの難しいテーマだが、運営に関わるスタッフの「生命」に対する想いは熱い。特に中心になって動いている方の「覚悟」は尋常ではなく、まだ知り合って日が浅いのだが「リスペクト」できる存在だ。

 

「万能」な人はいない以上、関わる人たちの「支え合い」が重要であり、そのための「信頼関係」を作れるか。そして中心になる人間が誰よりも「利他的」に動けるか。その結果として円滑な運営に繋がり、多少の「摩擦」ではブレない強さを持った「チーム」として機能できる。

 

コロナウイルス」の今後の動向次第では「開催中止」になる可能性もあるが、関わることで得られる人間関係は、僕の今後の「財産」になってゆく。「損得勘定」とは違うフィルターで繋がった人との「縁」を大切に育んでゆきたい。

オン・ザ・ロード。〈音楽と旅〉

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「作詞」や「作曲」のような「創作活動」は、基本的に自宅での作業になる。楽器やパソコンなど使い慣れた道具が揃っている「利便性」は、やはり自宅ならではだ。

 

ただ、より良い「作品」がどこで生まれやすいのかを考えると、必ずしも「自宅」とは言い切れない。生み出された作品の「数」なら圧倒的ではあるが、「質の高さ」や「ユニークさ」という「残す価値」を考えると、「旅先」で生まれたものに、より高い「価値」を感じている。

 

「商品」としての作品の「価値」は、依頼主やリスナーが決めるものだが、ライフワークとして「創作活動」をしている身としては、そういう「外的な評価」だけではやっていけない。自分自身が感じる「価値」を信じられなくなれば、書けなくなってしまうからだ。

 

「旅先」というのは、広義には「自宅以外」ということであり、「よそ者」であることの「気楽さ」や、見慣れた光景ではない「新鮮さ」、せっかく来たのだからという「貧乏根性」などが、良い方向で作用する。「自宅」では起こりえない「化学反応」が、自分の「感度」を強くしてくれる気がする。

 

「音楽は旅である」という良く耳にするフレーズには、「その通りだ」と思える説得力がある。自分を「オープン」な状態に保つことは簡単ではないが、見知らぬ街に行くことで自然にそういう「モード」になれる。

 

「作曲」という言葉よりも、「受曲」と言ったほうが適切に感じるほど、「作る」というよりも「降りてくる」感覚があり、それを受け取れる状態で自分がいられるかどうかが鍵だと思っている。自分の「ホーム」では余計な「忖度」を考えてしまいやすいが、「アウエー」ならもっとシンプルに自分と向き合える気がしている。

 

そういう「モード」に自宅で入るためには、様々な「儀式」が必要になる。「散歩」や「珈琲」など何かしらの「トリガー」を持たないと難しい。毎日「旅」に出られるわけではない以上、クリエイティブな「スイッチ」を持てるかどうかは、創作を継続してゆくための重要なポイントになるだろう。

 

日常の中にある全ての「選択」が思考の「流れ」を生み出すとすれば、より「クリエイティブ」でいるためにはどんな選択が最適な「答え」なのかを探し続けている。自分自身の心の「在り方」は毎日変化し、その時々によってどんな「行為」が必要なのかも刻々と変化してゆく。

 

様々な事情により、なかなか「旅」に出られずにいたが、今年はより良い「作品」を提供してゆくためにも、積極的に出かけたいと思っている。

変わりゆく「下町」。〈「必然」か「損失」か?〉

f:id:okikobo:20200217060014j:plain僕が初めて一人暮らしをした東京の下町は、「オリンピック開催」の影響もあり、かなりのスピードで「様変わり」していっている。

 

東京大空襲」から奇跡的に被害を逃れたエリアに該当し、僕が暮らしていた頃は「長屋」がたくさんあった。商店街の賑わいも尋常ではなく、夕飯前には原宿の「竹下通り」と変わらないほどの活気を見せていた。残念なのは、10代だった僕にはその「価値」がわからず、「なんとなく」暮らしてしまっていたことだ。

 

商店街の「対面販売」の良さというものがあり、顔馴染みになるほど「オマケ」してくれたり、私生活の心配までしてくれたりする。「プライバシー」なんていうものに対する配慮は無いかもしれないが、初めて一人暮らしをした僕の「寂しさ」を紛らわせてくれる、人の「温もり」を感じることができた。

 

昨年ある「縁」があり、そのエリアで開催される「音楽フェス」の実行委員をやることになったのだが、あらためて歩いてみると「あの頃」の活気ある商店街の姿はもう見ることはできず、「シャッター通り」と呼んでしまえる寂しい現状があった。

 

「音楽フェス」を開催することで、少しでも商店街を元気にしたいという「想い」が執行部にはある。果てしなく続く業務をボランティアとして「無償」でこなしてゆく姿を見ていると胸が熱くなる一方で、典型的な「消耗戦」に突入してしまっている継続困難な「苛酷さ」があった。

 

「音楽フェス」の成否を計るバロメーターとして「動員力」が挙げられるが、そこだけ見れば確実に伸びていて、執行部の苦労が報われている数字に見えなくもない。ただ、「誰のため」のフェスなのかを考えた時、数字には表れてこない部分に対する「配慮」をしていかなければ、地元や参加者からの本当の意味での「支持」は得られず、現執行部が燃え尽きるまでやればそれで終わってしまう可能性も大いにあるだろう。

 

ここ5年ほどで「長屋」の取り壊しは急速に進んでいるという。「再開発」の名のもとにマンションに建て替えられてゆくわけだが、知人の設計士がその現状に立ち向かっている。「長屋」の持ち主に「カルチャー」としての価値を説明し、彼自身の手で格安で「リノベ」することで、地域の「財産」として少しでも残そうという働きかけを、本業そっちのけでやっている。

 

彼の尽力で生き残る道を得た「長屋」は、たくさんの人が出入りする「シェアカフェ」や「ゲストハウス」などに姿を変え、今現在の街の在り方と「共存」しているように見える。それどころか、エリアの観光の「目玉」にもなっている。

 

自分が昔お世話になった商店街の現状も、直接いろいろ「取材」してみたのだが、衰退の一つの原因として「高齢化」がある。一度閉めたお店をもう一度開ける気力は無いだろうし、後継者もいない以上、やむを得ないことだろう。誰かに「貸す」という選択肢もあるのだが、新たな人間関係の中で発生する「トラブル」が面倒な気持ちも良くわかる。

 

「需要」の無くなったものが、その姿を消してゆくのは仕方のないことだ。「長屋」よりも「マンション」に価値を見出しているのが、現在を生きる我々の「決断」ということになるだろうが、もし「需要」がまだあるものを消してしまっているのだとしたら、それは大いなる「損失」であり、取返しのつかないことでもある。

 

「耐震」などの「防災」のことを考えると、古い建物を残すための「コスト」はそれなりにかかり、それならば「マンション」に建て替えたほうが賢明な判断になることは、持ち主にとっても「断腸の思い」かも知れず、軽率に「残すべき」とは言えない。

 

ただ、少しでも「損失」のカーブを緩やかにすることならできるかもしれず、そうすることで次の世代まで「決断」を先送りできることもあるだろう。「先送り」することで、状況の変化を待つことは無意味ではない。

 

東京の下町の現状は、「人口」がある分はまだ「マシ」なのだろう。地方が抱える「過疎」の問題はもっと深刻であり、「仕方ない」と言っている間に消えてゆくものに対して、極めて微力ながら「できること」を考えてゆきたい。

僕と珈琲。

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友人に、いつも美味しい珈琲を振る舞ってくれる人がいる。若い頃から飲んできたからこその「こだわり」を持ち、豆選びから焙煎、そして抽出まで、妥協はしない。そんな「一杯」を惜しげもなく振る舞ってくれる彼が身近にいてくれることで、僕の珈琲に対するスタンスにも、変化が出てきている。

 

彼の自宅の玄関を開けると、まず珈琲豆を焙煎する時の豊かな「薫り」に触れる。焙煎された豆を「自分用」と、自らが経営する「カフェ用」に分けて保存用の容器に入れてあるのだが、そこに貼られた豆の種類を示す手書きのステッカーが、雑然としながらも使い古された「味わい」があって好きだ。

 

彼と過ごす時間は、「今日はどれにします?」と聞かれ、豆を選ぶことから始まる。チェーン店の珈琲しか知らず、たまにハンドドリップするくらいの知識しか無い僕でも、彼とのやりとりを通じて自分の「好み」もわかってきた。最近の好みは「エチオピア」の浅煎りだ。

 

焙煎された全ての豆の薫りを嗅がせてくれるので、どれもとても良い感じで迷うのだが、それぞれの豆が持つ「個性」も少しずつわかってきた。そして、一番「豊か」だと感じるのは、その豆が持つ「産地」や「歴史」などの情報を、彼が必ず説明してくれることだ。

 

当然ながら、珈琲は飲んだらそれで「終わり」だ。普通にカフェで飲んでも、その「一杯」に込められた「物語」を聴ける機会はまずない。人間関係でも同じだと思うが、やはり「知る」ということで越えてゆけるものは大きい。

 

珈琲豆の産地が持つ歴史的な背景には、「大航海時代」から続く哀しい経緯と深い関係があり、現在でも「巨大資本」や「消費文化」といったパワーワードの激しい「潮流」の中で様々な局面に対峙しながら、僕たちの手元に「珈琲豆」は届く。

 

普通に「嗜好品」として楽しむだけでは見えてこない珈琲の一面を知ることで、より「親密」に関わることができ、「味」だけではなく、「器」や「出すタイミング」、「流す音楽」「一緒に読む本」など、まさに「カルチャー」として珈琲を捉えることができる「豊かさ」に繋がってゆく。

 

彼は、そういうやりとりを「意図的」に仕掛けてくれるので、僕にとってこんなに豊かな「珈琲時間」は無い。一緒に味わいながら様々なことを話すひとときは、中心に置かれた「珈琲」を軸として、奥行きを持った広がりを見せる「至高の時間」になっている。

 

熱い珈琲が提供してくれるものは「味覚」だけではなく、ゆっくりと話したり思考したりする「必然性」を自然に創ってくれることだろう。大人になるほど誰かと「雑談」することが残念ながら減ってしまうように感じるが、この状況は非常に「もったいない」ことなのだろう。

 

話し込むうちに、いつの間にか深夜になっていることも多々あるが、その都度「こういう時間っていいですよね」と心から言ってくれる彼は、日常に追われてしまうことが多い僕にとって、「大人の嗜み」とは何かを考えさせてくれる貴重な存在だ。

 

先日お会いした際に、話の流れから「カルチャー」に関連する本を5冊も貸していただいた。「まだまだあるので、読み終わったら言ってください」。こういうことができる「大人」に僕もならなくては。

「CBSドキュメント」。〈オトナへの背伸び〉

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学生の頃から、ドキュメンタリー番組が大好きだった。未だ見ぬ「世界」を垣間見ることで、ほんの少しだけ「オトナ」になれたような気がしていた。「世界」というのは、「海外」という意味だけではなく、自分の「知らないもの」というニュアンスだ。

 

中でも学生時代に欠かさず観ていた「CBSドキュメント」という番組は、MCのピーター・バラカンさんの「カルチャー」への捉え方が「人間愛」に満ちていて、番組を観ることで、自分の将来にとって「大切なもの」になりそうなことをたくさん教えてもらっていた。

 

最近聞いた話だが、友人がピーターさんに直接お会いする機会があり、その際に「CBSドキュメント」の話になった際に「スタッフの熱量が凄かった」と言っていたらしく、彼の飾らない人柄と、関わる全ての人の「想い」が、素晴らしい番組を創っていたことをあらためて知る。

 

番組が放送されていた「日曜深夜」は翌日が「学校」のため、憂鬱になりがちだったのだが、様々なカルチャーに触れることで「世界」を意識することができ、自分もいつか世界中を旅して回りたいという「夢」を持つことで、前向きな気持ちになれた。

 

基本的には「大人向け」の番組だったかもしれず、同級生に観てる友人はいなかったように思うが、「世界」や「カルチャー」の奥深さに触れるには、早い段階から「本物」を知る機会を持つことが重要かもしれない。

 

「広い世界」を少しでも知ることで、自分を取り巻く環境が「限定的なもの」であるという事実を理解することができ、「狭い世界」の中で苦しまずに済む。「学校」や「教育」に違和感ばかり感じていた僕にとって、番組の存在は「救い」でもあった。

 

「学校嫌い」な自分は「変人」なのかと思っていたが、そんなことが気にならないくらいに世界には様々な生き方をしている人たちがいる。学校が存在しない国もあるし、就職しようにも「内戦」でそれどころではない地域もある。

 

当時すでに「ミュージシャン」を目指していた僕は、番組を観ることで「音楽」というカルチャーが持つ「多様性」を知る機会にもなり、聴くものも拡げてゆくことができた。

 

そういう多感な時期のオトナへの「背伸び」は、周りにいる大人が見本を示してくれることが最も「自然」だとは思うが、近所の人たちとの「接点」がなかなか持てない現状では、その機会を持つことは難しい。

 

4畳半一間に家族3人で暮らしていた幼い頃、同じアパートの住人の部屋にはほぼ全て「お邪魔」していた。夕飯で自宅では食べ慣れないものをみんなで食べたり、普段見ない番組を半強制的に観ることになったり、知らない曲を聴かせてもらったりすることが、「普通」にあった。

 

自分が興味を持てる範囲に対してなら、「アプリ」がどんどん「おススメ」してくれる時代だが、興味の「外側」に広がっているものに触れることは、やはり周りの「大人」の役割だと感じる。

 

このブログに何度も登場している「下町のおじさんたち」は、小僧だった僕に「未知の世界」をたくさん見せてくれた。今思うと、それこそがカルチャーの「伝承」と呼べるものだったかもしれない。

 

子供たちに音楽の楽しさを伝える時に「すり寄って」しまうだけではなく、大人としての感覚で選んだ曲に触れてもらうことは、その子の「背伸び」を少しだけでも「お手伝い」させてもらうために、意味があると思っている。

 

通算25年を越えて2014年に終了した「CBSドキュメント」の放送の中で、僕のように「視野」を拡げてもらった視聴者はたくさんいるだろう。現在も独自の視点から音楽を中心とした「カルチャー」の情報を発信するピーターさんに、心からの敬意を表したい。

 

CBSドキュメント(Wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/CBS%E3%83%89%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88

自分の売り方。〈レーベル設立という選択肢〉

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今年は音楽活動をよりカタチにするために、「レーベル」の設立を考えている。ミュージシャンにとって、自分の曲をどんなやり方で「売る」のかの模索だ。

 

既存のレーベルに所属するのも一つのやり方だが、「CD」というメディアの価値が下がり続けている現状では、何か「新しい」やり方を考える必要があり、自分がやっていきたい音楽の「在り方」を追求するには、自分で立ち上げるしかないかもしれない。

 

レーベルを「設立」すると言っても、特別に必要になるものは無く、自分の「作品」をここから出していると「宣言」すればいいだけだ。だからこそ、出して「終わり」にしないための「戦略」こそが、一番大切なものになってくる。

 

「音楽人」にとって、曲という「作品」は商品の目玉に違いないが、「ライブ」をどこで、どんなカタチで展開してゆくのか、それに伴う「告知」や「宣伝」などをどんなイメージでやってゆくのか、その全ての「総和」がアーティストとしての「価値」になってゆく。

 

アーティスト自身によるマネージメント業務は、「仕事量」が激増し、うかうかすると一番肝心な「楽曲制作」や「スキルアップ」が疎かになってしまうリスクがあり、それを「分業」することで回避してゆく「知恵」が、今の「業界」のシステムでもあるのだが、一方でそのやり方には「デメリット」もある。

 

「分業」することで各部署の「負担」は減るのだが、「統一性」や「スピード感」にはどうしても欠けてしまう。どんなカタチを選択するのかは、自分がやりたいことと慎重に照らし合わせたうえで決断しなければならないだろう。

 

「セルフマネージメント」や「セルフブランディング」といったものに対して、アーティストは「無頓着」過ぎたという反省が僕にはある。状況の変化に対応し、生き残ってゆくためには、「戦略性」を持つことが必須であり、持てなければ時代の「波」に飲み込まれてしまっても文句は言えない。

 

幸い、今は自分で情報を「発信」できる環境があり、誰にでも昔よりもずっと平等に「チャンス」はある。ただ、「マーケットの縮小」という現状があり、そこに対してどんなアプローチで仕掛けてゆくのかは、簡単ではない。

 

誰でも発信できるからこそ、そこから「選択」してもらうための「仕掛け」が必要だ。平たく言えば、他人と同じことをやってしまえばあっという間に埋もれてしまうだろう。

 

他人との「違い」を示すには、自分を「知る」ことから始めるしかない。安易な「仕掛け」では偽物だといずれバレてしまうだけだ。自分を知るには「掘り下げる」必要があり、その一つの手段としてこのブログがあると思っている。

 

もう一つ有効な手段があるとすれば、他人との「会話」を増やすことだ。自分のことを「理解」するには、他人との「違い」から考えるのが手っ取り早い。「違い」の中に、自分にとって大切なものが潜んでいるだろう。

 

自分を把握するチカラと、時代を感じ取るチカラ。この辺が「マッチング」してきた時に、本当に有意義な「次の一手」が見えてくると思っている。

消えたマジシャン。

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自分の店を持っていた頃、ステージを盛り上げてくれるパフォーマーを探していた。音楽はもちろん、ダンスでもコントでも、とにかく店の「目玉」として活躍してくれる人材を求めていた。

 

僕の店は工場を改装した建物で、メインフロアが64畳もあった。板張りなのでダンスにも最適で、「サルサダンス」のミニレッスンを音楽の合間に挟んだりしていた。楽屋もかなり広く、コスプレ系のイベントをやっても着替える場所には困らなかった。

 

近所のカフェでまったりと過ごしていたら、突然隣の席にいた若い男性に「マジック」を披露された。少し驚いたが、屈託のない笑顔で「パフォーマーになりたい」という夢を熱く語る姿がとても「爽やか」だった。なかなかの腕前だったため僕の店のことを話し、さらにもっとゆっくり話したかったので彼のバイト先である駅前の居酒屋を、数日後に訪れた。

 

「焼鳥」が売りの店は、入り口から持つ印象よりも広く、清潔感もあった。最近ようやく「焼き場」を任されたということで、彼が焼いてくれる「焼鳥盛り合わせ」を注文する。勤務中でも鮮やかなマジックを披露してくれ、焼鳥もとても美味しかった。

 

「マジック」はとてもわかりやすい「エンターテインメント」だ。子供でも楽しめるので、「家族連れ」で来ていただく方が多い僕の店には「うってつけ」だ。僕がミュージシャンのため、どうしても音楽中心になりがちなタイムテーブルに、変化を付けることができる。

 

そして素晴らしかったのは、店長さんの人柄だ。まだ若いのだが、従業員を心から愛している「想い」がひしひしと伝わってくる。店では年に一度、従業員に感謝を込めて「海外研修」という名の旅行を無償で提供していると聞き、面倒見の良さに僕まで嬉しくなってくる。気持ちよく働ける環境は、夢を追う若者にとってもかけがえのないものだ。そこで働く「マジシャン」の彼も、溢れるような笑顔で「店が大好きです」と言い切っていた。

 

「今度僕の店に遊びに来てくれ」という約束を取り付け、帰宅する。彼の持つ清々しさが、僕に「伝染」したような心地よさを感じる夜だった。

 

僕の店に来てくれる日になり、連絡をしてみたのだが、何度電話しても繋がらない。心配になり、バイト先の店を訪ねて驚愕した。既に閉店していたのだ。「ご愛顧ありがとうございました」の張り紙しか、情報は無い。その後も連絡を取るも、繋がることは無かった。

 

ある日突然、僕の目の前に現れた若き「マジシャン」は、突然姿を消してしまった。彼の「夢」や、従業員を愛する店長の「今」がどうなっているのか。それを知る術は無い。

 

飲食店の熾烈な競争の渦に巻き込まれてしまったのか、経営者の都合で急な閉店に追い込まれてしまったのか、いろいろ考えてしまう。彼が違う場所で、今でも「マジシャン」になる夢を追い続けていることを、願わずにはいられない。

 

店の跡地には、まだ新しい店は入っていない。閉店を告げる張り紙も、あの日のままだ。

苦しければ道を「誤る」。

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自分を取り巻く状況が「苦しい」時、何かに縋りたくなる。いわゆる「思考停止」に陥ってしまい、自力での解決を放棄し、救ってくれる「ヒーロー」が登場してくれることを祈るか、「奇跡」が起きることを願う。

 

「ヒーロー」はいないし、「奇跡」はまず起こらない。それでも、「思考停止」してしまい凍り付いた「心」には、解決の糸口さえ見つけるチカラは無い。結局自分が動かない限り状況は「好転」するはずも無いのだが、かと言ってどうすればいいのかを考えるだけの心の「ゆとり」も無い。

 

「縋る」ということは、「投げ出す」ことと同じであり、「解決」に至ることは無い。そういう「過ち」を何度も犯してきた。

 

仕事が取れないことが続くと、どこかの時点で「自暴自棄」になってくる。それではいけないとわかっているのだが、心を上手く操ることは難しい。そういう時に、自分とは違いきっちりと「結果」を残している人を見ると縋りたくなる。過剰な「期待」を、「ヒーロー」に持ってしまうのだ。

 

「この人のそばにいれば、仕事が取れる」という期待は、まず裏切られる。縋ってしまっている時点で、もうそういう結果は確定している。もし仕事を「斡旋」してもらうことがあったとしても、「実力」で取ったものではないため継続はできないだろう。

 

そして、縋る対象の「ヒーロー」が本物であるほど、「思考停止」してしまっている人間に何かを「プレゼント」してくれることは無い。「ヒーロー」だからこそ、人を見る目も肥えているからだ。

 

「苦しい」から縋っているのに、状況はますます悪化してゆく。「縋る」ことで自分の「価値」をどんどん下げてしまっているのだ。「お情け」でも仕事が欲しい時はあるが、その仕事を今後も継続してゆくつもりがあるなら、「致命的」なミスということになる。

 

下がってしまった自分の「価値」を、再び元の位置にまで上げることは容易では無い。「縋る」という選択は、プラスを生まないどころか、マイナスの領域まで自分を追い込んでゆく。

 

「苦しい」からこそ、「思考停止」してはいけない。「休息」はアリだが。

 

「思考停止」しないために大切なことは、自分を「把握」することだ。「帰るべき場所を持つ」と言ってもいい。本当に大切なものは、一つしか選べないことを知る。あれもこれもできるわけではない以上、たった一つの「大切なもの」を守り、育んでいける「道」とはどういうものなのか。その一点に思考を「絞る」ことで、誰から見ても「ブレない自分」でいることができる。

 

「ブレない」ということは、「軽くない」ということだ。「軽くない」から「価値」も上がる。「価値」が上がれば、少しずつでも必ず状況は「好転」してくる。

 

この場合の「好転」とは、「その場しのぎ」という意味ではない。長い目で見た時の「好転」であり、本当に意味のあるものだ。「苦しい」状況を生み出しているものが、今日明日に抱えている「課題」なら、まずはそれに対する「応急処置」を施す必要があるが、それは根本的な解決では決して無い。「その場しのぎ」に慣れてはいけない。

 

「誰に」評価されたいのか、「誰を」守りたいのか、「何が」大切なのか。その答えは、自分にしかわからない。だからこそ、絶対に縋ってはいけないのだ。

月見草。〈負けに不思議の負けなし〉

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僕は、「野球少年」だった。学校から帰ればランドセルを玄関に放り投げ、バットを持って空き地に向かうと、仲間たちの声が聴こえてくる。本来は18人揃わなければ試合にはならないのだが、そこにいる人数でできる適当な「ルール」を作り、「野球ごっこ」をしていた。

 

2人しかいなくても、キャッチボールやノック、バッティング練習はできる。とにかくボールを追いかけて走り回ることが楽しくて仕方なかった。投げるボールが速いとか、空き地の外にまでボールを投げられるとか、打球を遠くまで飛ばせるとか、どれか一つのことでもずば抜けていれば、仲間うちで「リスペクト」されるため、みんなそれなりに必死だった。

 

僕は仲間うちでは肩が強く足が速かったため、野球をやってさえいれば「目立つ」ことができた。父の仕事の関係で引っ越すことになった時、野球仲間からまるで「今生の別れ」のように大げさに悲しまれ、「再会」を約して新しい街へ旅立つ。

 

引っ越した先では、新しい環境になかなか馴染めず、野球に誘われても全く楽しめないまま「不登校」になる。心配してくれた祖父が、東北の田舎から出てきてわざわざ長期滞在して面倒を見てくれたことで、また学校に通えるようになった。

 

「おじいちゃん子」だった僕は、祖父が大好きだった野球を再びやってみることが、多少なりとも「恩返し」になると思い、地元の少年野球チームに入部する。「強肩」と「俊足」は復活したものの、やはり馴染めずにいつの間にかチームを辞めてしまっていた。

 

チームは辞めても、空き地での野球は楽しかった。引っ越してきた「新人」がいち早く「信頼」を勝ち取るには、「空き地野球」で活躍する必要があった。学校から帰るといきなり空き地には行かず、ランニングをして準備をしてから向かう。

 

母が愛読していた、ちばあきお作の「キャプテン」という野球漫画の主人公「谷口タカオ」に感化され、とにかく走り、バットを振り込む毎日を過ごす中で、少しずつ新しい環境にも馴染めるようになっていった。「谷口タカオ」は、音楽人である今も僕の「お手本」だ。

 

中学でも野球部に属したが、顧問の「超体育会系」なやり方に嫌気がさし、何度も退部を申し出るもその都度仲間に止められ、なんとか3年間やり通すことはできたが、野球をすることの「楽しさ」は、すっかり忘れてしまっていた。

 

野球部引退と同時に「音楽」を始め、現在に至る。その間、初めて一人暮らしをした東京の下町で、おじさんばかりの草野球チームに属して土手のグラウンドでボールを追いかけることで、再び野球の楽しさに触れることができた。

 

そのチームには、甲子園の強豪校出身者もいて、そこで初めて本格的な「技術」を教えてもらい、野球の「奥深さ」を知ることになる。バイト明けの早朝に、マンションの屋上で朝日を眺めながらバットを振り込んだことを覚えている。

 

そして最もその「奥深さ」を知ったのは、1992年と1993年の「日本シリーズ」だった。常勝「西武ライオンズ」と、弱小から這い上がってきた「ヤクルト」の対決は、両監督の個性がぶつかり合う、まさに「死闘」だった。

 

92年にヤクルトが敗れた時、広島ファンだった僕でも本当に残念だった。終わってみれば相当喰らいついたものの、「西武」の勝負強さにはまだ及ばない「現実」を、「ヤクルト」の監督と選手は敗者として見せつけられたことだろう。

 

そして93年、ストッパー高津投手のガッツポーズと共に、僕も飛び上がってヤクルトの「日本一」を喜んだ。あんなに感動する日本シリーズは、もうないかもしれない。

 

野球は「人生そのもの」であり、「人間の全てが出る」と言う。自らを「月見草」とし「弱者」が「強者」に勝つには「努力せよ」と教えてくれた人。

 

生涯一捕手。野村克也氏永眠。享年84歳。

 

本当にお疲れ様でした。

「お節介」という死語。

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他人のことを、自分のことのように考えられる人がいる。他人が抱え込んでいる苦しみや痛み、そして喜びを「共有」できる人。そういう人に触れる機会が激減したのは、いつからだろう。

 

確かに「うざい」瞬間というものはある。「放っておいてくれ」と思うこともある。でも、本当に「放置」されてしまったら、人はいったいどうなるのだろう。

 

他人との「一線」を踏み越えてくれる人の存在が無ければ、洞窟にたった一人で閉じ込められているのと変わらないかもしれない。天井から滴る水の音を、数えるだけの人生になってしまうかもしれない。ギリギリの状態まで追い詰められた時、人はそれでも「孤独」でいられるだろうか。

 

他人の心の内は、当然見えるはずもない。どれだけ苦しくても、人はそれを覆い隠す術を覚えながら大人になってゆく。覚えなければ、「マトモ」ではいられそうもない。「苦しい」と誰にも言えない。「哀しい」と誰にも言えない。他人に「迷惑」をかけるなと教え込まれてゆく中で、人は感情の「発露」を控えるようになる。そうこうしている内に、いつの間にか自分自身の喜怒哀楽の「座標軸」を見失い、訳も無く涙が零れる夜もあるだろう。

 

「一線」を踏み越えてでも「心配」してくれる人が、一人でもいい、近しい存在にいることは、たとえ「面倒くさい」時があったとしても、かけがえのない「宝物」であることは間違いない。

 

「お節介」…いらぬ世話をやくこと。

 

自分の感情をコントロールすることは、いったいいつから一人で取り組むべき「課題」になったのか。それができない人は、何に「救い」を求めればいいのか。確かに「いらぬ」時はある。だからと言って「いる」とは言えないのならば、「いる世話」というのはどんなことを差すのだろう。

 

心を隠すことがオトナとしての「常識」なら、他人の心に触れようとする行為は全て「いらぬ世話」になってしまう。人はいつから、そんなに強くなったのか。いつから強くなることが「当然」のことのように捉えられてしまったのか。

 

泣きじゃくっていた「子供」が、泣き止むことが「大人」になることなのだろうか。

 

他人の「喜怒哀楽」に敏感なほど、「疲労感」も大きくなる。そんなものにいちいち向き合わないことが、生きる「知恵」だ。向き合ったところで、どんな「代償」が得られると言うのか。

 

うざがられ、嫌がられ、遠ざけられ、それでも他人の感情を放置できない人がいる。そんな「お節介な人」を見かけることが、本当に少なくなった。他人に「干渉」しない代わりに、自分への「干渉」も必要としない。自分は自分、他人は他人。これが本当に「知恵」なのだとしたら、「社会的動物」であるはずの人間は、その歴史の中で何を学んできたというのだろう。

 

何事にも「節度」というものがある。「一線」を踏み越えてしまうことは、そういう「常識」とは縁遠い行為にあたるかもしれない。今時「お節介な人」であることは、「リスク」こそあれ得することなど皆無だろうが、それでもそういう人が「消滅」してしまったわけではない。

 

「評価」が得られないものは、その姿を徐々に消してゆく。「お節介」という言葉さえ聞くことが無くなりつつある今、他人を放置できない人を「消滅」させるなら、このまま「鬱陶しい」と思っていればいい。

「よくわからない人」の面白さ。

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僕の周りには、「よくわからない人」がたくさんいる。別の言い方をするなら、「職業不詳」であり、どうやって稼いでいるのか「謎」な人たちだ。「所属不明」と言ってもいいだろう。

 

何年お付き合いさせていただいても、さらに「謎」は深まるばかり…こういう人が持つ「面白さ」というものがある。共通項としては、「世間体を気にしていない」だったり、「常識に囚われていない」ということが挙げられる。

 

僕自身、よく「謎」だと言われるが、「褒め言葉」として受け取るようにしている。生き方として決して「わかりやすい」ということは無い。あっちへ行ったりこっちへ来たりしながら、何とか生き延びてきた。ただ、自分が「面白い存在」かは不明だが…

 

いわゆる「普通の生き方」としては、「若い頃」ならいろいろ「やらかして」いたとしても、年齢を重ねるに連れて「落ち着く」のが通常の「生き方」だろう。僕の父も若い頃はかなりの「やんちゃ」をし、地元ではちょっとした「レジェンド」のようだが、僕が生まれ家庭を持ち、「普通の生き方」を受け入れていった。

 

僕の周りにいる「よくわからない人」は、「落ち着く」ことを知らないように見える。それどころか、ますます「やらかして」いるかもしれず、同じような生き方をしている「先輩」としては心強い限りだが、冷静に見ると「大丈夫かな?」と思ったりもする。

 

ただ、こういう「常識に囚われていない人」だからこそ、できることがある。自分の「暮らし」を後回しにして「利他的」に動くことができたり、同じように「アウトロー」として生きている人たちを「差別」したりしない。

 

音楽業界でも、僕の知る限りチカラのある「プロデューサー」は、「凄味」のある顔つきをしていることが多いが、それはきっと「いろいろ見てきた」からこその「貫禄」なのだろう。ちょっとやそっとでは「太刀打ち」できそうもない「オーラ」を感じる。

 

人間を動かすという「難事業」には、「裏」も「表」も知り尽くしている人の存在は欠かせないものだ。「きれいごと」だけでは、なかなか人は動かない。いろいろ「やらかして」きた人だからこそ、そこにある「利害関係」も細部まで良く見えるだろう。

 

巷を賑わしている「新型ウイルス」のようなものへの「対応」には、そこに潜む様々な「裏事情」のようなものにも精通し、トラブルにも動じない「凄味」を持った人間が必要だと思うが、「エリート」にそれを求めるのはいささか「酷」だろう。

 

先の「戦争」というものを顧みる時、「エリート主義からの脱却」ということを学ぶ必要が強烈にあると思うのだが、全くそうなっていないどころか、ますます「学歴主義」が目立ち、また同じように「やらかして」しまうのではないかという気がしてしまう。

 

「よくわからない人」が街にたくさんいるということは、それだけ「多様性」というものの「核心」が浸透した「証」になると思うのだが、残念ながら飽くまでも「マイノリティー」でしかなく、少し「変わった人」を受け入れるだけの社会的な「成熟度」が育っていないように感じる。

 

「よくわからない」からこそ、「?」という瞬間も多いのだが、そういう人が存在しているという「豊かさ」を理解し、一時的な感情だけで「拒絶」してしまう「損失」を考えていかなければ、「均一化」された大人ばかりになってしまうだろう。